お金持ちの男性と結婚した嫁を「玉の輿」と言いますね。
20代男性の平均所得が低い日本。
若者同士の結婚は減少傾向にあり、反対に「老け専」と云われる20代の女性たちは40代の高所得者男性との結婚に憧れているようです。
年の差婚が芸能界だけではなく一般社会にも違和感なく浸透してきたのでしょうか。
私の周りでも、今年こそ狙ってやるぞ「玉の輿」と意気込む若い女子がいます。
さて、その「玉の輿」という言葉、実はタヌキと神社に深い関係があるのをご存知でしょうか?!
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通称「おたぬきさん」で有名な柳森神社とは?!
JR秋葉原駅の東口近く、神田川沿いを進むと神田ふれあい橋があります。
その対岸の左手にあるのが柳森神社です。
江戸城の築城の折に太田道灌(おおたどうかん)により鬼門除けとして作られたのが柳の森。
通称「おたぬきさん」と呼ばれる鎮守を柳の森に祀ったのです。
「おたぬきさん」は福寿神さま?!
柳森神社にはいくつもの神さまが祀られており、そのひとつが「福寿神」。
徳川幕府の五代将軍といえば、“生類あわれみの令”で有名な狗神様好きの徳川綱吉です。
その綱吉のお母様、名前を桂昌院(けいしょういん)さまといい、桂昌院さまが創建したのが「福寿社」です。
桂昌院さまは少し変わった方で、タヌキである福寿神(狸)を信仰していたのです。
福寿社には福寿神(狸)の像が祀られているのです。
庶民の間では「たぬき」から連想して「他を抜きんでる」として、金運や勝ち負け、受験や昇進にご利益があると思われたようです。
玉の輿の由来
2017年1月、関西でお昼の連ドラといえば「チャンオクチョン」。
賎民の母を持つチャンオクチョンが王様の「玉の輿」になり王子を産む物語。
もともと桂昌院さまは八百屋の娘でした。それが春日局さまの目に留まり、なんと三代将軍家光の側室になったのです。
つまり、士農工商で身分の低い商人の娘が将軍の母親にまで上り詰めたわけです。
ところで、その桂昌院さま、八百屋の娘として生まれた時は「お玉」と名付けられました。
「玉の輿に乗る」とは、八百屋の娘から将軍の母に上り詰めたお玉さんの輿(こし)(江戸時代の高貴な方のタクシーとでも言いましょうか。神様が乗るとお神輿、人間が乗ると単に「輿」と言います。)に乗るという意味なのです。
まとめ
「たぬき」から「他抜き」と転じたと信じる方、若しくは八百屋の娘のお玉ちゃんが将軍の母親に上り詰めた「玉の輿」に乗っかってみたい方、元気な赤ちゃんを授かりたい方は、懐妊した狸像が本尊の柳森神社に足を運んでみてはいかがでしょうか。