和食屋さんや飲み屋、骨とう品屋店などの入り口によくある、笠をかぶって、徳利(とっくり)を持ったたぬきの置き物は誰しも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?
たぬきの置き物で有名な信楽焼
明治時代に作られ始めた信楽焼のたぬきは、1951年信楽町に置かれた沢山のたぬきの置き物を見て感動した昭和天皇が、歌を詠んだことがきっかけで、全国的に有名になりました。
現在では全国各地にたぬきが置かれている信楽焼ですが、なぜたぬきだったのか?それはたぬきの名前の意味に秘密がありました。
信楽焼
信楽焼(しがらきやき)という言葉をきくと、「ああ、たぬきの置き物ね。」とすぐに思ってしまいますが、信楽焼はたぬき以外にもたくさんあります。
日常で使う陶器や、フクロウの置き物もありますし、庭園陶器や傘立てなど多岐にわたって種類は豊富にあります。
信楽焼は滋賀県甲賀市信楽が発祥の地で、信楽を中心に作られています。
信楽の土地は良質の陶土が採れるので、古来から伝統の技術を受け継ぎながら栄えてきました。
今では、日本六古窯の(にほんろっこうよう)という、中世から現在まで作り続けられている6つの窯の一つに数えられています。
古くから有名な信楽焼がなぜたぬきの置き物を作ったのか
中世から作られ始めた信楽焼ですが、江戸時代には日常に使う器を作り、第二次世界大戦末期には火鉢が全国で使われていた信楽焼ですが、たぬきの置き物が作られ始めたのは明治時代からです。
たぬきの置き物は、縁起物として商売人を始め多くの人に求められ広まっていきました。
なぜたぬきが縁起物なのか?それはたぬきの名前に意味がありました。
たぬきは「他を抜く」という名前の意味から、商売繁盛を願う商人達が店の軒先に飾るようになり広まったと言われています。
まとめ
信楽焼のたぬきをよく見てみると、左手に徳利(トックリ)を持って、右手に通帳を持っ
ているんです。ご存知でしたか?
お酒を買いにいくところなんでしょうかね。
首を少しかしげたなんとも言えない表情が愛らしいです。
信楽町にはたくさんのたぬきたちが並んでいて、オスとメスのたぬきや、色んなアイテムを持ったたぬきがいるので是非一度行ってみたいと思います。